アダムとイヴの堕落・楽園からの追放

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聖書は、旧約聖書が39巻、新約聖書が27巻で成り立っていますが、
アダムイヴの悲劇は、創世記に書かれています。
 

創世記とは、聖書の一番初めの書であり、
1章が天地創造、2章がアダムイヴの創造の詳細です。

そして、なんと3章で、アダムとイブの堕落について書かれています。
 

聖書は、日本語の新改訳聖書の中型では合計2071ページもありますが、

最初の4ページ目で、人類最初の人間であるアダムとイブが罪を犯し、
楽園を追放されたときの出来事が記されています。
 

なんということでしょうか。

全知全能の神さまがお造りになられた最高の傑作品が、欠陥だらけだったのでしょうか?

一体なぜ、人間を完全無欠に創造されなかったのでしょうか?
 

多くの方が不思議に思ってしまう事柄であります。
 

完全無欠とは何か?

けれども、完全無欠とはなんでしょうか?

なんの意思もなく、神さまの命令どおりに動いていれば、完全無欠なのでしょうか?

人生のすべてを、完璧な規則に従って生活していれば、最高の傑作品なのでしょうか?
 

それでは、ロボットと同じになってしまいます。

予めプログラムした設定に従って、規則どおりに動く機械となんら代わらなくなってしまいます。
 

そうではなく、しっかりと感情があり、意思があった上で、

それでも神さまの御心に従って歩むことにこそ、

があります。
 

自らの意思で自発的に神さまを敬い、従っていくことにこそ、

愛の交わりがあります。
 

私たち人間は、決して服従を強いられているわけではありません。

命令に従って規則的に、機械的に生活することが人間が造られた目的ではありません。
 

自ら意欲的に神さまの御心に従い、尊敬していく、自発的な愛こそが求められています。
 

もしも恋人が、何の喜びもなく、愛情もなく、ただ自分の言うことに従っているだけだったら、
なんて悲しいことでしょう。

もしもお子様が、親の命令に従うだけで、死んだ魚のようなうつろな目をしながら退屈な日々を過ごしているだけなら、
なんて苦しいことでしょう。
 

神さまとの、愛と喜びに満ちた交わりをして過ごすことこそ、
人間が造られた目的です!
 

そして、自発的な愛によって神さまに従うときにこそ、
その愛の交わりを経験することができます。
 

十字架による回復

最初の人間、アダムとイヴは、神さまの御心に背いてしまいましたが、
イエス・キリストを通して、回復の道が用意されました。
 

イエスさまの十字架の愛を信じることによって、

神さまとの生きた交わりを回復することができます。
 

「神は霊ですから、神を礼拝するものは、

 霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
  
            (聖書・ヨハネ4:24)
 

この地上で、肉体に宿ったまま神さまを肉眼で見ることはできませんが、

私たちのスピリットでは感じることができます。
 

純粋な信仰心で神さまを求めるとき、

神さまの愛、喜び、平安が伝わってきます。
 
 
そのような生きた神さまとの交わりに、

今日もあなたは招かれています。
 

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。

 わたしはあなたを愛している。」

        (聖書・イザヤ43:4)

God loves you.☆
 
東京で聖書を学ぶ教会。神愛エクレシア
 

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